久し振りに続いた雨天の後、待ち構えていたかのように太陽が顔を出した。
日が出ているとはいえ、ぬかるんだ道を無理に進むこともないだろうと軍師は決定を下し、
軍の誰もがこの幸運に空いた一日をどう過ごそうか思案していた。
緑に透けた光を身体に浴びながら、この軍の密偵・マシューは気持ち良さげに軽く寝息を立てていた。
用とあらば直ぐに目を覚ましてしまうこの有能な密偵は、比較的大きめな樹の上で器用に横になっている。
と、彼はふと聞き慣れた声で目を覚ました。
「だから、どうして僕が」
「エルク!折角のお休みなのよ?こんなに天気がいいのよ!?どうしてテントの中で魔道書広げてられるのよ」
「折角の休みだから久々にゆっくり読書したいんじゃないか」
「そんなの昨日でも一昨日でも出来たじゃない。今日は外に出る日なのよ」
「はぁ・・誰がそんな事決めたんだい?それに僕はもうプリシラ様の所に行かなくちゃいけないんだけど」
彼が首をもたげると、丁度彼の下、大樹の根元に紫色と桃色の髪の毛が見えた。
どうやら桃色の髪の持ち主が、紫色の髪の持ち主を無理矢理この木の根元に座らせようと奮闘しているらしい。
マシューは目頭を押さえながら、やれやれとばかりに小さな溜息をついた。
『彼女』の良く響く声は、とても自分を眠らせてくれそうにない。
特に彼女がこの少年と居る時は―――。
「ちょっと。どうしてわたしと居るのは駄目でプリシラの所に行くのは良いの?」
「軍師殿から策を渡されてて、それをお伝えしなきゃいけないから」
「何それ、わたしの方が重要じゃない。じゃ、決まりね。買い物に付き合って」
「嫌だ」
「遠慮しなくていいのよ、エルク。このセーラ様の御付きをするなんて畏れ多い事だけど、わたし気にしないから」
「・・・・・・・・はぁ。じゃ僕はプリシラ様の所へ行くから・・」
「あ、ちょっと!待ちなさいよ!」
少年は持っていた魔道書を静かに彼女の隣へ置くと、彼女の手をすり抜けるように早足で去っていった。
彼女は暫くその後を追おうか迷っていたようだが、その後彼の赤い後ろ姿に舌を出した。
そのついでに、負け惜しみを吠える人間しか言わないような捨て台詞を添えて。
「エルクのバカー!」
その無邪気さと言っていいのか単純、いや幼稚とも取られる台詞に脱力しながら、マシューは思わず言葉を発していた。
「見事に振られたな」
「!」
「よう」
真上から掛かった声にバッと上を見上げた彼女に、マシューは身を乗り出して更に続けた。
「『わたしの傍に居てください』くらい言ってみたらどうだ?」
「エルクがそう言うんだったら訊いてあげないこともないわ」
「お前なぁ・・・」
胸を張って自信満々に言い切った彼女に、マシューは二度目の脱力感を味わった。
いつかこの姦し娘の旦那になる人物は大変だなぁ、と心の中でぼやく。
「・・で、どうしてマシューがそんなトコに居るわけ」
「こっちの台詞なんだけどな。俺が寝てたらお前らが来たんだ」
「樹の上で寝れるってどうかと思うわ」
「ほっとけ。で、どうなんだよお前は」
「何がよ」
「エルク」
彼がそう言うと、彼女の表情は思い出したようにさっと曇った。
それをすかさず見止めると、マシューは彼女の隣へ器用に着地した。
このまま下を向いていたのでは頭に血が上ってしまう。
「・・本当に失礼しちゃうわ。わたしが折角外に連れ出したのに」
「要するにお前はエルクがプリシラ嬢の所に行くから嫌なんだろ?」
「そうね。わたしがプリシラに負けてるみたいじゃない」
「そうじゃなくてだな」
素で言っているのか惚けているのか、いまひとつマシューには量りかねた。
恐らく彼の思うところでは、気付いてはいるが認めたくない、といったところか。
彼女が苦い顔でそのまま腰掛けると、マシューもその隣に倣った。
「もし俺がエルクみたいに行動してもお前は後ろ姿にバカーとか言わないだろ」
「わたしそんな事言ったかしら」
「二分ほど前の台詞だぜ、覚えてるだろ?」
「・・・・・」
彼女は、不機嫌な顔をそのままに空を睨んだ。
だからどうなのよ、とでも言いたげに。
マシューは、どうしてもこの素直でない彼女に本音を言わせたいという気持ちになってきた。
それはまるで勝手に自分に課せられた使命のように。
それに、少しはあの少年が彼女に残していったメッセージを解らせなくては、と。
「・・・・セーラ?」
暫く黙っている彼女を覗き込むと、彼女は顔を背けてポツリと答えた。
「だって、おかしいじゃない」
待ち構えていたように、マシューは返した。
見えない彼女の顔がどうなっているかもわからなかったが、機嫌がよくないことだけは確か。
「何が」
「エルク、プリシラとかニノの前では笑うのよ」
「お前の前でもたまーに笑うじゃねぇか」
「違うわよ。そうじゃなくて」
実はマシューが目撃したのは一度だけだが、目撃していない所を概算すると偶に、と言う所だろう。
彼女はそれをあっさり流すと、また暫し沈黙した。
「・・・・」
「・・・・・・」
焦れたマシューが聞き返そうとした時、ふと彼女の口が開いた。
「・・綺麗なのよ」
彼が予想したどんな言葉をも裏切ったその言葉に、思わず今度は彼が言葉を失くす番となった。
「・・・・・・・は?」
「だから、綺麗に笑うの。特にプリシラとかニノとかと居る時には」
「?」
「えーっと優しいっていうか・・・穏やかだって言うか・・」
マシューは首を傾げそうになった。
決してあの少年はよく笑う方ではない。
戦闘中は勿論のこと、自分を含め軍の者と接する時も真面目な顔を崩しはしない。
戦闘の合間、今日のような日に時折、よく知った者にだけ零すのも『笑み』程度であり、我らの主君のヘクトルが
豪快に笑うのとでは訳が違う。
それでも、プリシラやニノの前では違って微笑むのか?
それが『綺麗』という形容なのか?
そもそも、どうしてセーラがそんな事を思って―――――――――
――――ああ、そうか。
それだけ彼を見ているという事じゃないか。
「綺麗に、ねぇ・・・」
「だから、おかしいじゃない?わたしには・・」
「わたしには?」
「・・・・そんな風に綺麗に笑った事なんか無いくせに」
彼女はそう言うと、顔を自分の膝の間に埋めた。
他人と比較して負けていると思った所は極力口にも出したくないらしい。
確かに彼が彼女と居るときは、どちらかと言うとしかめっ面の方が多い気がする。
だがそれは嫌いだからと言うよりも、むしろ―――――
「お前、気付いてないだけだろ」
「・・何が」
「色々とだよ。例えばソレ」
マシューはそう言うと、彼女の脇に置かれたままの魔道書を指差した。
促された彼女はゆっくりとその魔道書を手に取り暫く眺めていたが、ふとマシューの方を向き言う。
「この魔道書が、何なのよ」
「気付いてやれよ」
「だから、何が」
「また戻ってくるって事だろ?」
え、と彼女は声を上げた。
「そこに置きっぱなしにはしておかないだろ、エルクは」
まだ完全に事情を飲み込んでいない彼女に、マシューは追い討ちを掛けるように言う。
「お前が持っててやらないとな」
「わたしがって・・・」
「そう言う事だよ」
恐らく意味を解したのだろう、彼女は手の魔道書を改めて見つめた。
彼のさりげない行為に含められた意味を確認するように、その分厚い表紙をゆっくりと撫ぜる。
マシューもその様子を見て満足に足りたのか、彼女を邪魔しないよう徐に立ち上がった。
「何処行くの」
「ここじゃどの道眠れないだろ。どっか他の所を探す。そして寝る」
「もう日が昇りきってるわよ」
「俺は寝れるの。じゃ、俺の昼寝の邪魔すんなよ」
「言われなくてもしないわよ」
マシューには、此処に居て待ってなくちゃいけないから、と後に続いたように聞こえた。
やれやれ、と笑みが零れる。
どうして自分がこんな初々しい二人の仲を引き合わせる様な真似をしているのか。
彼は去り際に手で彼女の頭をぽんと叩くと、手をひらひらさせながらその大樹を後にした。
彼女は暫くその後姿を見ていたが、やがて魔道書の表紙に目を落とした。
そして、ぽつりと呟く。
「・・・・エルクのばか」
その後彼女がした表情は誰も見ることは無かったが、確かに嬉しげに微笑んでいた。
彼が思ったよりも用は長く掛かってしまったらしい。
彼は小走りに目当ての場所へと向かっていた。
『うっかり』、魔道書を『忘れた』のだ。
丁度彼女と話をしたあの樹の所へ。
彼は誰かが待っているかどうかを敢えてあまり期待はしていなかったが、その樹の根元で揺れる
桃色の髪を見つけたとき、思わず笑みを零した。
「・・・セーラ?」
彼が近づいて見ると、彼女は樹の根元で眠っていた。
器用に根と地面の凹凸に適応しているのを見て、また一つ笑みを零す。
彼女の手元にはしっかりと彼の魔道書が抱えられている。
この魔道書は彼女に『預けられた』のであって、彼に『忘れられた』のではない事になる。
「・・ありがとう。持っててくれて」
期待以上の現実に、彼はそっと彼女の横に腰を下ろした。
静かに彼女の横顔をみやると、ぽつりと呟く。
「・・・黙ってればいかにもシスターなのにね」
口を一度開いた彼女からは、とても静かな彼女など想像出来ないのだ。
彼女のお喋りは時に人を困惑させる。
けれど、彼女の沈黙も彼を惑わせるには十分だった。
彼は自分が不思議と上機嫌になっていくのを感じながら、横の彼女の肩を静かに叩いた。
「セーラ」
「・・・・・・・ぅん・・」
「セーラ」
彼女がゆっくり目を開けると、彼は彼女の正面を覗き込んで言った。
「おはよう」
不器用に込み上げてくる笑みを隠す為に顰め面を作る。
それでも、彼は眼差しは彼女に向けたまま続けた。
「・・・・買い物に行くんだろ?」
緑の葉を透けて差し込んだ光が、彼女の満面の笑みと、それにつられて零れた彼の微笑みの上に降り注いだ。
FIN
金城ノマさんのサイト「J-36番街」にて5544カウントを踏み、リクエストさせて頂いたエルセラ小説です。
受験でお忙しい中、私なんぞのリクを覚えていて下さって感謝です(><)
私、金城さんのエルセラが大好きでして…、もう狂喜乱舞vv
不器用で素直じゃないエルクとセーラ、二人に振り回されるマシューが微笑ましくて愛です!
こっ、この後のお買い物エルセラも大層気になります…!(鼻息荒いよ)
金城さん、本当にありがとうございました!
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